たった二度のノッキング

犬がフガフガ吠えながら三日月を食べている握手による記憶の収奪を恐れる男をたくさんの首が一斉に笑い物にする両腕の欠損に気づいておらず、痛みすら、ないとはと 新しい穴蔵にも飽いてやることがないなら残高照会にでかけよう「無頼者...

また帰ってくるの

仕事の合間に清水まで出向いて長屋の掃除をする。数ヶ月手を入れられず、忘れ去るようにして夕暮れをなんどもやり過ごしてきたことを後悔する。いまさら後悔するのは長屋に足を踏み入れた自分であり、今日まで家の窓辺で夕日に頬を焼いて...

はつ対面

男はどうしても紙幣を8枚以上数えることができなかった。手を止めて、苛立ちを断ち切るごとく席を立ち、再び椅子に腰掛けても、紙幣を数える指が8枚から先に進めることができない。同僚は彼の職業人としてのあらゆる素質を疑ったが、融...

男は走っていた。息は切れ切れ、呑み込む唾はとうに絶え、舌は乾ききって口の中にぐったりと横たわっていてもなお、休むことなく走り続けていた。小脇に抱えていたハンドバッグの中にはこの世で最後の一株となった狒々の頭部があり、万病...

その日私は、とある女性と映画館に行った。単館の、50席ほどの映画館で、別珍の布地が貼り付けられている座席は跳ね上げないタイプのものだった。映画はモノクロで、地の底の世界で繁栄を遂げる架空の国家に潜伏する男を中心に繰り広げ...

今日は眠らなきゃ

あと4時間で起きて仕込みに臨まなければならないのだが、抵抗する体は酒を口に運びまた口に運び、岐阜のCDショップで手に入れた『moonless』というタイトルのアルバムを流す。眠りたくない夜のために、といったフレーズで勧め...

少しずつ置いていく

その雨は止まない。止んだときには、そこに雨はないからだ。 私の手や足は空間に痛めつけられたわけではない。しかし雨風を凌ぐための梁や柱が私とあいつらをこの場所に足止めするのだ。いっそ泥まみれになるならば、自分から飛び込んで...

小湾の愚帝

カモメはいつまでも魚を取るふりをして錐揉みを続けた。魚影は、この桟橋からでも認められるのに、である。聞けば理由は明らかである、と。君はそっぽを向いている。 つまるところ、正義の正体が暴かれたわけではない。株価を変動させる...

変な人が出た

「はい、…ええ、…前もお伝えしたと思うんですけど、その宅はうちの北側の、苗字は同じですけど違う宅ですので…右手に街灯が見えますか?そのT字の交差点を左に曲がっていただいて…ええ、曲がったら突き当たりまで行ってください」 ...