はつ対面

男はどうしても紙幣を8枚以上数えることができなかった。
手を止めて、苛立ちを断ち切るごとく席を立ち、再び椅子に腰掛けても、紙幣を数える指が8枚から先に進めることができない。
同僚は彼の職業人としてのあらゆる素質を疑ったが、融資相談にかんする顧客応対の慇懃さ、同行他部門の商材である保険証券に対する知識とその説明の明瞭さ、上長としてのフォローも抜け目なく、むしろ「なぜ、枚挙にかんしてのみ、その能力が極端に欠如しているのか」という些か不可解な疑問に達し、給湯室あたりで腰を反らせて大きく伸びをしている彼を、オフィス中が好奇とも憐れみとも言える目で見つめていた。しばらくすると皆それにも飽きた。

昔、忘れ物だって親に上履きを渡されたことがあってさ。でも、どうみても僕のサイズじゃないの。すごく小さくて、馴染みのない履き癖があるからゴム底のすり減り方にも覚えがないし、ガサツな僕よりも遥かに乱雑な履かれ方をしていて、黒い擦った跡みたいな線が無数に走ってた。
これは、僕のじゃない、っていうとさ、いいから、なんて言うわけ。親が。
だからさ、慣れっこなのよ。こういうの。

死後硬直を終えた身体で、彼はゆっくりと静かに語る。オフィスには誰もいない。