音楽以外の音
また音楽の話。聴くものに困るときがある。手を動かしている時間を少しでも楽しいものにしたいという、ささやかな願いはあるが、頭の中にあるミュージシャン名鑑のページをめくる努力すら、億劫に思える時がそれにあたる。そんな時は考え...
また音楽の話。聴くものに困るときがある。手を動かしている時間を少しでも楽しいものにしたいという、ささやかな願いはあるが、頭の中にあるミュージシャン名鑑のページをめくる努力すら、億劫に思える時がそれにあたる。そんな時は考え...
『朝が来て 苛立と目が合った』salyuというミュージシャンが好きである。学生の頃、特に中高生の頃に聴いていた音楽というのは、その思い出を共有する友人たちごと、ひっそりとした雑木林を貫く遊歩道の柵を乗り越えて少し行ったあ...
ダイナマイトに代わるものは、なんなのだろう。ぎょっとする書き出し。でもなんのことはない、テレビの中の話である。私が小さい頃は、ドラマも映画も、大詰めになれば登場するのが、ダイナマイトだったように思う。トレンチコートの内側...
夕暮れのことを考える。とにかく寂しいものだった。電灯がいっせいにパッと、付くタイミングを目にしてしまったとき。無遠慮なヴォリュームで流れる『遠き山に日は落ちて』の放送が会話を断ち切ったとき。どこかの窓から漂ってきた、大根...
CDの棚の奥に、取り逃したヤモリの、砂壁をさする音。 世間の話をしたいけれど、自分の体の中を渦巻いて荒れる砂嵐に口封じをするのに忙しい。結果的に私はボーっとしている、という烙印をぎゅうと押される。 彼の放つ言葉に、彼の吹...
朝焼けと夕暮れ時が、時々区別がつかなくなる。なにを学のないことを言っているのだか、と嘲笑われてしまいそうだ。だけれども、例えば目が覚めたら、全く知らない土地のバス停のベンチに横たわっていたとして、24時間表記の時計も手元...
日暮れ頃は息子と泥を丸めていた。手の熱で、水分を失って泥は、突然まとまりと弾力を帯びて手の中で自在に形を変える。なんだか焼き菓子をこねているときみたいだ。息子はそんな程よい水分をたたえた泥の中にたっぷりの水を汲んできて、...
地図の上に示された町の形と、頭の中にある町の形は少し、異なっている。これは、ひとえに私が類まれなる方向音痴であることに帰結しているかもしれない。鳥でもないのに地図が頭の中に克明に刻み込まれている人々には、ハンと鼻で笑われ...