ダイナマイトに代わるもの

ダイナマイトに代わるものは、なんなのだろう。
ぎょっとする書き出し。でもなんのことはない、テレビの中の話である。
私が小さい頃は、ドラマも映画も、大詰めになれば登場するのが、ダイナマイトだったように思う。
トレンチコートの内側に、びっしりと張り巡らされていたダイナマイトや、発破という、あの通称もめっきり聞かなくなった。
テレビ画面のところどころに、染みのようにこびりついていた手際の悪さや不明瞭な仕事を、ダイナマイトはその紅い筐体に引き受けて、粉みじんに吹き飛ばしたり、未然に防がれたりする。
禊や祓みたいなものだったな。舞台装置として、完璧な代物だった。

息子がいる。今年で4歳になる。
彼が大きくなって行く過程の、さまざまの場面で目にするであろう、ダイナマイトに代わる舞台装置とは、いったいなんになるのだろう。
もしかしたら、汚れや粗をそのままに包み込んで、泥にまみれながらも転がり続ける物語で、彼の世界は構成されるかもしれない。
私と地続きでない世界で、歩みを進めていってほしい気持ちと、同じものを見て少しは、似通った感情を分かち合いたい気持ちとで、揺らぐ。
けっこう、大事な分かれ道だと思う。