9/7

トンボの目は不思議だ。複眼って、どんなふうに世界が見えているのだろう。

春に中古のハイエースを買った。
いままでパワーウィンドウもついてないような古い車(軽トラとか、軽バンとかである)しか乗ってこなかったところに、いきなり4年落ち程度の新しめの車を手にしたわけで、この車は車線をはみ出すと警告が鳴ったり、前方車両との間隔が迫ってくると大きな警告音を発したりする。
便利だなと思う一方、この車はどういうふうに世界を認識しているのか、非常に気になる。
前者に関しては、カメラで道路上の白線(または黄線)を認識するらしい。で後者はセンサーとカメラ。らしい。
つまり?この車には永遠に路面だけを見続けている目と、永遠に前だけを向いている目がある、というわけか。
実家にあるルンバのパチモンとか、目に当たる部位は存在しない代わりに、センサーのようなもので間取りを感じ取ってウロウロしている。そこに壁はないと信じ切って、何度も柱に激突する様は、我々目に頼った生物には真似できない芸当である。

感覚から伝えられる奔放な刺激を、理性で遮断する事なく野放しにしてみると、とんでもなく雑然とした色々を頭の中で考えている事、人は皆そういうものであるのに(少なくとも私の頭の中は奔放極まりない)、なぜかひた隠しにするよね。節度ってやつかしら。
声のトーンが同級生に酷似している人を目の前にしている時、どうしても彼の面影がチラついてしまったり、髪型が違うだけで同一人物だと認識できない時、自分が何に頼って人を区別しているかを思い知ったり。
匂いとか、身振り手振りの傾向から骨格を想像して、似ている誰かを思い出したり。
話の内容を聞いているようで、この人歯並び良いな…とかしか考えていなかったり。
靴紐を結ぶおじさん、かわいい、とか(大人になると靴紐結ぶ瞬間が極端に減りますね。女性はもとから少ない人多そう)。

こういうあらゆる刺激と比べると、言葉ってやっぱり弱いから、口ではなんだか至極真っ当なことを語っているようで、その実、心の中では今傍らにいない人、言ってしまえば幽霊のこと、考えているだけ、そしてその割合が、人によるかもしれないけれど、殆ど目の前にいる人の事なんか、考えていないものなのかもしれない。
ハイエースの話、ぜんぜん関係ないな。