9/21

学生時代は友人と集まると、ライブDVDか、YouTube、ニコニコ動画を眺めて過ごしていた。
当時、井上陽水が昭和女子大の学園祭で『傘がない』を演奏した動画が、ニコ動だったかな、アップされていて、私はその鬼気迫る演奏と氏の歌唱表現に圧倒されていたのだが、傍の友人が「女子大で歌うから気合い入ってんなー」と一言添え、なんだよそれ、集中の糸が断ち切れ、笑いながら彼を見やり、再び画面に目を向けると、下世話な動機に基づいて演奏している、という解釈もあながち間違ってはいない気がしてくる。

鑑賞している対象物の、高尚であるとか、下賤であるとかを問わず、複数の視座から見つめることができれば、もしかしたら情熱を沸かす足掛かりの一つとして見出せない、退屈でぼやっとした、微熱に近い心持ちで生活を送ることになるかもしれない。
だけど、少なくとも息苦しさからは解放される。
そしてそれが、いいことなのかどうかは、今のところ全く分からない。

もうすぐお彼岸ですね。
堤防沿いの法面が、真っ赤に染まるのを観にいこう。
宛名がなくても手紙は書けるんだから。