6億の靴下

ガソリンの中をひた泳ぐ魚の群れ。忘れ物が見つからないという。
姪が産まれた。
つまり親族が増えた。大変に喜ばしいことである。
親戚の数は多ければ多いほどいい。親戚は。
友人は…多くても仕方ない、一定の閾値がある。
ものには適当な数があるように思える。
足が二本しかないのに、靴下を6億足持っていても、どうだろう。
15歳で手足の伸びきった人が、80歳で人生を終えるとして、65年間。
靴下の履き替えに10秒かかるとして、寝食を忘れて取り組んでも履き終えられない。
その間の生計はどうするのか。母は泣かないのか。
己の人生を捨てる覚悟でもって、靴下の山に立ち向かう男にはどのような意志が宿るのだろうか。
「…大型のね、衣料品の量販店によく、家族で行ってたんですけど。そこに、キャスターのついたステンレスのカゴ一杯に、靴下の在庫があったんです。それが可笑しくて可笑しくて、ぼく、どうしてこんなに笑えるのだろうか、どうして人は毎日、どうせ夜には脱ぐ靴下を履くのか、って考えた時に、ああアスファルトだ、地面に固いコンクリートで蓋をしたから、ゴム底の革靴が手放せなくなって、それで毎日靴下を履くんだ、って悟ったんです。父は大企業に勤めていました。私はそのとき、タガが外れてしまって…私の人生を、毎日履き替えられる靴下のように、一つの用途に使い切ってしまおうと、思い立ったんです」
生れてから死ぬまで、高速道から降りずに生活している人。
想像できるものは、すべて実在すると昔の人が言う。
私は彼らに遠く及ばない。