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ハイエース(正確にはレジアスエースというらしい。販売店のブランドが異なると名前が変わる、という現象にいまだ馴染めずにいるが、ファミリーマートで売っている100円のおっとっとは、スーパーおっとっとという名前を冠していることを思い出し、少し納得)を購入した。
イベント出店の際にたくさんの什器を運ぶ必要が出てきて、また県外への遠征を、もっと気軽に実現したいという思いもあって、紆余曲折を経て購入。
パパ頑張ります。たくさん仕事ください。

昨日は納車の喜びも手伝って、妻と、学校終わりの息子とを乗せて三重県のアクアイグニスに行って風呂に浸かってきた。夕暮れ時の露天風呂、見上げるとバイパスが静謐さを称えてそこにあり、夕映えと私たちの視界との間にはその高架しかない。なかなか独特な光景。
バイパスの近くで生まれ育ち、名二環の近くの高校に通っていた私は、通学路に突然現れた風呂に浸かっているような、不思議な心地を覚える。
「バイパスの澄んだ空気と僕の街」とキリンジに歌われた場所はどこなんだろう。
堀込兄弟が埼玉県出身であることを考えると、愛知県海部郡甚目寺町でもなければ、三重県三重郡菰野町でもないであろうとは思うのだが、かつて誰の歌にも顧みられなかった(俺の知る限り、ね)バイパスにまつわる喜びの感情を、「澄んだ空気」という表現で掬い上げてくれて、とても嬉しい。
誰かの言葉が自分の慰めになる事は、とても嬉しい。
自分自身も誰かに慰めを与えることができれば、もっと嬉しい。
本当は誰しもがそう思っているんじゃないのだろうか。

家の勝手口から、小さい猫の鳴き声が聞こえる。つい先月ごろ、家の近くを根城としている野良猫から生まれた子猫のものかと思ったが、懐中電灯の先、ナンテンの袂に私が認めたのはもっと若い、まだ目も開ききっていない三匹の子猫が必死に母を呼ぶ姿であった。
近づこうとすると、低い成猫の唸り声のようなものが耳をかすめる。近くで威嚇する母猫がいるのだろうが、どうしても見つからない。
勝手口を後にしてしばらくしても、子猫たちは間断なく母を呼び続けている。あの唸り声の主はいったい何をしているのだろうか。
彼らくらい小さい頃に、心優しい人に拾われて、あぐ(私がかつて飼っていた猫である。一昨年から行方不明)は献身的な世話を受けて私のもとへと譲られた。
扉一枚隔てた向こうで鳴き続ける猫たちを一晩放っておくことで、私は私がいただいた優しさの連鎖を断ち切ろうとしているのかもしれない。
愛情の終着点。
近頃は行きっぱなしだそうです。
死ぬのはいつも他人ばかりだね。