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昨日は実に、久しぶりに、9年ぶりくらいに、人前で自分の作った楽曲を披露するという機会を(珍しく自分から申し出て)いただき、見事!大火傷を負って帰ってきた。人前で歌うことの難しさを痛感し、ミュージシャンの方々への尊敬を、逆説的に得た夜であった。やっぱり自分はコーヒー豆屋、飲食にまつわる仕事が向いているのだなーと、認識する。
そういえばどうしてミュージシャンを志すことを諦めたのだっけ。
何年か越しに思い返すに、自らが愛情と時間をかけてこしらえた楽曲ではあっても、人様がわざわざ足を前に進めて地面を移動して、お金を払って、あまり快適とは言えない椅子に黙って腰掛ける理由がない、と思ったからだっただろうか。
喉の渇きも飢えも癒やさないものにお金を払うことにかんして、私の想像力が及ばなかったのだろう。

体を少し、前に揺らしたり、足を一歩、踏み込んでみると、そうして移動したかった自分自身を知覚したり、やはり元いた場所に戻りたいという思いが私の心を訪れたりして、あらゆる所作が鏡となって私に新しい知見をもたらしてくれる。
そういった意味合いで、音楽は耳を傾けてくれる人様に与えるものごとよりも、演奏者じたいにもたらしてくれるものごとの方が遥かに多く…私はその罪悪感に勝てず、人に付き合ってもらう(演奏に参加してもらったり、お客さんとして耳を傾けてもらう)ことにも罪悪感を覚えてしまい…これらの感情も、ある意味では体を動かすことによってもたらされる新しい知見のひとつだろうけれど。
とにかく理由がないとなにもできない。
基本的に私は地固め以外に関心がない。
音楽がやりたくて生きているんです、って言ってみたい。
言ってみたいけど本当にそうなのか自問したことがないのでわからない。本当は、仰向けになったまま壁に向かって足をあげつつ、傍らのポテトチップスを頬張りながら映画を見続けて生きていたいのかもしれない。
あらゆる反証を打ち消してみないと、わたしがほんとうに音楽がやりたくて生きているのかわからない。またヘンペルのカラスだ。
たぶんなにもわからないまま死ぬ。
その今際の際で、私はいままでの人生を振り返り悟るだろう。
「チョコレートのかかったポテトチップスの方がよかったな…」などと。