私の、祈り、とは

バイパスをけたたましい、排気音が駆け巡る。
楽器に抜けの良い音色があるように、バイクのマフラーにも抜けの良し悪しがあるようである。
リンク・レイのギターの音は、世に出た当初はあまりに邪悪だと、そういう理由でラジオでの放送が禁止になった。
60年ほど経て私の耳に届く彼のサウンドは、何のことはない、クランチ程度に歪ませた、ブルース進行の籠り気味なギター・インストゥルメンタルでしかない。どちらかというと全くコード感を下支えできていないベースの音の方が不気味である。
当時、彼の曲をどこかで耳にして衝撃を受けたであろう、多くの少年少女達に聴こえたような衝撃をもって、『rumble』を聴くことができないのは悔しい。
桜は年々白く見える。町で目にする色が、どんどんと過激になっていくからだろうか。
表現とは玄関までの道のりの名前で、フロアに続く扉の向こうに待つものは、どこも似たようなものだとしたら…。
窓の外、何十年たとうが、フロアへのアプローチを一切拵えない、エキゾーストパイプの悲鳴がかけめぐる。
人間は気体なのかもしれない。
性懲りもなく毎日毎日、変なことを言う。
沢山の物語や言葉がけを受けて、四方に広がり、だが霧散したり、体の周りを漂ったままでいる気体。
「簡単だよ。ここにいたくない、だよ」
とあるミュージシャンの言葉がかけめぐる。
つながっている。いや、繋ぎ止められている。
もしかしたら、私はどこまでも飛んでいける存在なのかもしれない。
性懲りもなく毎日毎日、変なことを言う。