口を開いたのがはじまり

メタセコイアという名前の樹木がある。
三木博士という方が発表した論文によると、絶滅したと考えられていたスギ科の樹木だったが、1940年代に中国の四川省で神木として祀られているものを、現地の学者さんがメタセコイアであると同定。生きた化石の仲間入りを果たした。
定規で測ったように真っすぐに幹を伸ばす姿、独特の樹皮、ヒバに似ているけれど決定的に異なる、これまた独特な葉の形状、何よりその大きさ。
樹木のポケット図鑑を片手に東京の街を散策していた頃、この木が植わっているのを見かけた時には、とても興奮した。
なにより生きた化石と呼ばれる生物に、心動かされない人はいないだろう。たぶん。

しかしこの生きた化石という表現は、技術的に今よりも幾分矮小な人間の世界で、それも「絶滅したと考えられる」といった旨の論文が発表された後の世界でのみ通用するわけで、メタセコイアが自生していた湖北省や四川省で生まれ育った人々とは、決して分かち合えない(言葉としては理解できるかもしれないけど)世界がここに構成されてしまっている。
彼らにしてみれば、背が高いばっかりで碌に木登りもできない、落葉して辺りを汚す針葉樹なんかより、テンの方が珍しいのかもしれない。というか中国にはいないのね、テン。
そんなわけで、発芽して以来、何も変わらずにそこにあったメタセコイアは、人間の都合で生きた化石と称され、戦後アメリカから皇居に寄贈されたり、記念植樹の定番としてやり玉に挙げられ、結果日本にはたくさん植わっている。
ちょっと広めの公園にはたくさんある。樹形ですぐわかる。
繰り返すけれど、メタセコイアはずっとそこにあった。それが急に、各国で増える運びとなった。

主語がわからない文章を読んでいると、書かれている内容が、どうあっても覆せない、東から太陽が昇るくらいの所与の事実であるように感じてしまうことがある、わたしは。主語。
でも、少なくともメタセコイアの論文は覆った。
覆った?
初めから、事実は何も変わっていない。
メタセコイアが歩いて逃げてたわけでもない。
調査の手が、行き届かなかっただけ。
上手く話せない。物事を断定して話をしてしまう功罪の話かもしれない。
絶滅したと思われていた生物が生きていて、最高の気分ですよね!ロマンですね!
人間一人の調査では、やっぱり限界がありますよねえ。
もう32にもなる私ならそんな言葉が出てくるのかもしれない。
でも俺が子供だったら…。
三木博士にこう言ってやるかもしれない。
「この嘘つき!」って。