二の句はお好きに

その隙間を覗いたら、誰かと目が合うに決まっている…。

カーテンが少しだけ開いている。シャッターが半開き。気になる。子供のような好奇心で、目が離せなくなる。良い三和土だ…意を決して…いや、ほんの軽い気持ちで、もう少し覗こう、ガラスに反射して見えづらい部分を見極めよう…果たしてわたしは、中で寛いでいた老婆と目が合う。ぺこりと会釈して、その場を去る。

不審者が服を着て歩いているようなものだ。いや、この表現は不審者という不審者が皆、全裸だという前提が世間一般の通説でないと成立しない。不審者は最初、ことを成すために服を着ているものだ。最初から全裸では、目標達成の前段階、早いうちから然るべきところへ連れて行かれてしまう。なんだかウィルスみたいだな。致死性があまりに強すぎると、爆発的な感染拡大には至らない。

何の話だっけ。そうカーテンだ。

誰かの開けたその隙間は、当然のことだが通りがかりのわたしのためにあるわけではない。受益者は開けた当人である。彼や彼女が、通りがかりであるところの私を喜ばせるために、カーテンを開けることがあるだろうか。

商売をするというのは、このカーテンの隙間を、他ならぬ通りがかりのために開けることに近いのだろうか。持ち前の土間を、そこに吊るされた手入れの行き届いた革のつなぎを、額装された銅版画やオブジェを、目線の結ばれた通りすがりの誰かに解放することなのだろうか。

「一芸が身を助くほどの哀しみ」と、阿佐田哲也が表現したことを思い出す。