どうしても明日を待ち望む心

窓の外は雨、シャンプーの泡がぽつぽつとはじける音。
眠気なんてただの言葉だ、体の疲れも、言葉に疲れさせられているだけだ!と息巻いて、昨日は前の日の朝から眠らずに過ごしていたけれど、夕方ごろ、シンクの中の洗い物の山にどうしても手が伸びず、足も動かず、布団へ飛び込んで現世からリングアウト。
しかしわからない。
あのとき体を前に動かさなかったのは、筋肉の限界でなく明らかに心の作用だった。
どうして心が出てきて、ブレーキをかけるのだろう?
高校の途中まで、剣道部だった。
筋肉から余計な力を抜くためだろうが、指導者が止めるまで、休みなく竹刀を振り回す稽古をすることがある。
稽古の最後はたいてい『切り返し100本』だった。
100回、袈裟斬りと逆袈裟に近い軌道で、相手に竹刀を打ち込んでいく。
遅い早いを競うものではないが、決められた数打ち込めば終わりなので皆一息に終えてしまおうとする。遅い人は取り残され、皆はそれを待つ。
へとへとで声も小さく枯れて、振り上げも満足にできない弱弱しくなった彼の打ち込みを黙って見つめる。
でも私は、彼が演技をしているということを知っていた。
彼はここから着替えて仲間と談笑を交わし、自転車や電車に乗って家路につき、夕飯を食べ、少しの間だけでもと、明日の予習に取り組むかもしれないのだ。
ここで倒れるわけにはいかないことを、誰よりも彼の心は知っているのだ。
どうして心がでてきて、ブレーキをかけるのだろう?
どうして、私の体の中のどこよりも、心が明日をまち望んでいるのだろう?
窓の外の雨は止んだようである。私は風呂を出る。