いるかも生きていることの証明

最初は耳を疑い、納得できなかった者もいたけれど、故郷を離れて東京で生活する人たちは皆、固有の名前を剥奪されて、出身地域の名称で呼ばれることに、違和感を抱くものはいなくなった。心地の良さを覚えるものもいるだろう。なんせもう、東京以外にくらすひとのほうが稀だったんだから。
「本郷もかねやすまでは江戸のうち」という川柳は、多くの人から原義を忘れ去られて、卒塔婆みたいな扱いだ。
領地拡大を続け、どこまでが東京で、どこからが地方であるのか、境界はどんどんと曖昧になっていく中、多摩だけはどこか、別の県であるかのような悠然さを讃えて小川を養っていた。

この世で最後のタバコを吸い終えて、たった今潰れたコンビニを後にした男は百万円の使い道を考えながら家路に向かった。それっぽっちのお金では、もう青ネギ一つ変えないフェーズを世界が望むとき、先物為替市場のラブコメディは前回までのコマ数を剥奪されて明滅している。浮浪者の溜まり場に置いてあるテレビ以外、超短波の帯域を受信することは叶わなかった。いや、ことのはじめから誰一人望んではいなかったのだ。尻尾が出ることを恐れない人などいなかったからだ。秘密を売ることなく商売が成立するなら、誰しもがそれを望んだだろう。暴露を渇望する情熱の源泉は人造のものではなかった。地中にあるいたずら心に鶴橋の切先が出会い、そして飛散したのだ。

私は昨日潰れたコンビニと対峙しつつゼリー状の栄養ドリンクを一本一本丁寧に飲んでいる。小指を立ててはいけない。どんな不具者が監視しているかわからない。笑顔を絶やせば二階級が吹っ飛ぶ。ここはそういう世界、そういう文脈だ。