「この機会を逃す馬鹿などいようはずがないのに、昨日すれちがっただけの、グレーのスーツを着た…それも背中にびっしりとシワの入ったやつ、きっと座席に座る時もそのまま着続けていたに違いない…顔すらも覚えていないオッサンをだぜ、あいつは、もしかしたらもう死んでるかもしれないと口寄せしたんだ」
ビロードが燃え広がって、手をかざすと刺すような熱を感じる沃野に秋刀魚を横たえて彼は家路を急ぐことにした。どうも観たい番組を録画したのか、記憶が怪しくなってきたそうである。
「まるでナルキッソス…湖面もないのに一人おのれの美を…どこをどう見たらそのあばたヅラに美を見出せるのか皆目分からぬが…とにかくおのれの美に狼狽えて嘔吐してやがった。あいつのせいで俺の枕が黄色く草臥れていくんだよ」
ため息も枯れ果てた。
坊やは新しい転轍機を小脇に抱えてご機嫌。
現場は大わらわだ。
「どうしたって成し遂げなければならないオペレーション、それは日常の歯を磨くとか髭を剃るとか、そういった身体に直接アクセスする仕草みたいなもので、そこにあるはずの髭や歯茎がなかったら、あんたならどうする?俺だったらもう一度ベッドに戻るね。だってさあ、ありえないんだもんそんな状況」
情報も水も、一滴として流入する余地が残されていないこの人造湖。
魚などいようはずがない。
いるとしたらそれは神のなせるわざ。
魚のアダムとそのアバラから作られたイヴを、俺とお前が確認した。それくらい異常なことさ。
でもながくは保たないだろう。お呼びではないんだ。
「だいたい、何を糧にして生きるっていうんだ?」
八百長ばかりでは心が傷むことに気づいたやつがたまーに出目を外してみせるように。
「俺の目には向こうの岸辺で睦まじく過ごす男女らや家族なんかが、狐火を呼び寄せるいかがわしい集団にしか見えない。いつまでも不安を煽るような水面だ」
花弁が一枚の花を使って占いに興じるような愚かさだ。
鹿の妻と茂みに隠れてよろしくやる腹づもりでしたら、どうぞ。
私はフウの実を拾って時間を潰すことにするよ。
だいぶ日も短くなってきたから、ここいらでひとつ、マイクに向かって物申したくなってきたんだ。
ものものしい咳払いで耳目を集め、身体を意味深に傾ける。投げつけられた缶詰に頭をぶっつけて笑う。
蛇蝎の笑みに皆がすくみ夜が更ける。
首から上の数を数える。
番号で呼び下されて、皆気持ちよさそうだ。