ここ数日は止むに止まれぬ事情により、家を一歩も出ていない。コロナではない。
だから日記に書くことがない、というのは全くもって言い訳にすぎない。なにせ私は起こった出来事を書き記すような日記を残していないからである。思ったことを書いている。つまり今日は何も思っていない、無為に過ごした日である、と認めるかっこうになる。恥ずかしいが、本当に何も思っていないかもしれない。
尹雄大さんのご著書を最近読み返している。
ここ7年ほど、仕事で認められるという、それまで全く体験したことのなかった出来事にたくさん恵まれ、おかげでたくさんのものを捨て置いたり失ったりした。それくらい、物事が順調に運んでいく快感というものを私は渇望していたのだ。
忘れ物はもう少し、商売が順調に運ぶようになってから、取りに帰ればいいと思っていたけれど、もしかしたらここらで一度、踵を返して元来た道を戻らないといけないかもしれない。
強くはなりたいけれど、そこまで強くならなくても、身の回りの人はある程度幸せにできるかもしれない。そういった分水嶺は目に見えない。立ち止まるタイミングは自分で決めればよい。
ただ…うーん、ここから先は、何度書いてもしっくりこない。
だいたい、そこら辺にいくらでも代わりの効く人間の(私のことである)人生を道なんぞに喩えてつらつら駄文を書き連ねるあたりがもう恥である。ださい。犬猫のように生きましょう。この先は別に何もありませんよ。なにかあるように思えるのは、私の頭が処理する感情がそう見せてるだけで、どうかしちゃってんすよ、頭が。