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アバターを作ることで現実とは異なる世界で全く異なる自分を演じることや、密かに練習を重ねた特技を披露して普段とは全く異なる自分を演出することは容易な世の中になった。
つまり一時点において、同時に複数の人格を創出して「走らせる」ことが可能になり、人々の記憶にアクセスして複数の「演出した自己」をねじ込む(あんまり人聞きが良くないな…)ことができるようになった。なったね?

けれど、時間自体にアクセスして、人々の記憶を遡って楔を打ち付けるような真似はまだできない。
つまり何が言いたいかというと、付き合いの長さは、それが好ましいものであってもなくても、何人たりとも侵すことができない。
付け焼き刃でも多少さまになることがある、そしてその幻想が信じられている今、時間をかけた付き合いというものは、本当に有機的で人間を人間たらしめる財産になるんだろうな。などと思う。

Aという、彼女が10代の頃から付き合いのある女の子がいて、東京を離れる際に、顔だけ見ておこうと連絡を取り、家に行って一緒にゲームをすることにした。
彼女の家では当時付き合っていた男性が同棲しており、彼を交えて3人で酒を飲みながらゲームをしていたわけだが、夜半、彼は眠っている私を尻目に彼女の家を後にしてどこかへ消えてしまった。後日聞くと、「二人の仲の良さに居た堪れなくなった」と話してくれたそうで、女々しい野郎だ…と思う反面、相手の心情を察するに、付き合いの長さという不可侵さで私は暴力を働いていたようなもので、非常に申し訳なさを感じた。
あ、この話はここで終わりです。

誰にだって何かの出来事が訪れる。
何一つ、誰一人と関わることなく手足が伸び切って大人になるわけではない。
過去の出来事や思い出を語る在り方が、もっと無限に存在すればいいと思う。
私はいつまでも聞いている人。
つっかえながらでもいいから話してくれればいいし、取り止めのない話だと捨て置かずにいてほしい。
簡潔にまとめてしまうことなんか、求めていない。
そして、たとえ口籠もってしまったとしても、続けてほしい。
今からあなたと思い出を供出する私に対しての、それがあなたのできる最大限の思いやりだろう?