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骨は強い力でガーンと叩いても動かない(折れるだけだ)が、微弱な力で長時間押し続けると、だんだんと向きを変えていく、らしい。
美脚トレーナーの方に教えていただきましたからね、間違いありません。

なんだ、美脚トレーナーって。色気付きやがって。女か?女できたんか?という声がどこかから聞こえてきそう。
いやいや、金に少し余裕ができたから、かねてよりの念願だった、この曲くねった太いシシャモ脚をどうにかしたかったんだよ。

というより!俺は言い返してやるぜ。
男が見た目に気を使う動機づけは、必ずしも対外的なところに求められない。
つまり自分自身の納得のために気を使ってることだってあるわけなのだが、他者との会話の上で期待される男の人格というのは「身なりに気を使う動機づけは女性」だったりする。
「なんだ、髪の毛染めて色気付きやがって。女か?」という上司の言葉に、「へへぇ、実は…」と下卑た笑いで応答したりするやつ。
この「会話の上での人格の型」みたいなものを、私は否定する気はないがあんまり好きにもなれない。
けれどその型の存在を認識できずに、人と人は必ず心を通わせるべきだと頭から信じ切っているがために「誰も本当の私のことを理解してくれない」なんて塞ぎ込んでしまう単純で繊細な若い子らには、目も当てられない気持ちにもなる。

「主賓以外は全て人格の伴わない匿名の潤滑油であり、滞りなく宴が執り行われるのであれば、台本にある発言に対して、発話者が誰であるかは全く問題にならない」という会話の型が、日本語世界で構築された社会には確実に存在していると思っているのだが、自分がその潤滑油の一滴となることに関しては嫌悪する割に、バラエティ番組で滞りなく笑いが起きると、なんの疑いもなく笑っちゃう人、いますよね。
あなたきっとそうですよね。
そういう人は郡上踊りに来なさい。
他人と心なんて通わせる必要なんてないのです。
私と一緒に、祭りの潤滑油の一滴となりましょう。