7/19

毎日暑いですね。
8月に入るまで、クーラーなんか使ってやるもんか!みたいな取り決めを自分に課していた頃が懐かしい。
どうも、かつての日本より気温が高くなっているそうです。そうか、と思う。昔より暑いわけだ、とは思わない。
暑いと感じるようになったのは、身体がさまざまの要因で衰えてしまったからかもしれないし、用水路が暗渠化され、空き地や田畑だった場所がアスファルトに遮蔽され、太陽光に暖められた空気の逃げ場がなくなったからかもしれないし、単純に今年は太陽が少し近づいているのかもしれないし、まあとにかく暑さに関しては少しだけ疑問の余地を残して生きています。

比較、というものに対していつもいつも懐疑的である。
「このままの感じで続けてても、きっと売れないよ」まるで未来を見てきてその足で私を尋ねたかのように物申す人はいる。
あるひとつの要素Xがもたらす影響について調べたければ、結果物のAとBは、X以外の要素に関しては同じでなければならないだろう…、みたいな、頭堅めの考え方をあらゆる比較において振りかざすものだから、「昔より暑いよね」という何気ない世間話に「それってあなたの意見ですよね?」なんて返したくなる気持ちを、グッと堪えていたりする(何度も申し上げますが、金銭の授受が成立しない関係における私の言動ははっきり言ってゴミクズ野郎です。お見知り置きください)。

最近はしかし、未来を見てきたような口ぶりに関して、疑問を抱かなくなった。
本当に「見えている」場合が、「見えている」人が存在することを実感したからだ。まあこれは別の話。

温度って、何で決まってるか知ってる?摂氏の場合ね。
1気圧の環境下で、水が沸騰した時の温度を100、水が凍った時の温度を0として、その100から0の間を100等分して値が決まってるんだってさ。
質量っていうものも、水を基準に決めてなかったかしら。うろ覚えですみませんけど。時間…秒というのは、クオーツとかいう謎の物質が32798回振動した時間を1秒とするのが、最も安定してるんでしたっけね。でも今調べたら、このクオーツの水晶振動子も、カットの仕方によっては1秒間に32798回振動しない場合があるらしい。なんだそれ…。

つまり何が言いたいのか。
絶対、というものが存在してないように見えません?単位というものが、何かとの比較によって定義づけられてる。当然と言えば当然なんだろうけど、世界を切り取って測るための大事な足がかりである単位が、自分が思うよりはるかに根拠が弱めで、びっくりしたんですよ。
ある日突然、水が「沸騰すんのやーめた」とか言い始めて(実際に口にするかどうかはわかりませんけど)、永遠に湯が沸かない、または既存の水銀温度計が200℃を示すまで沸騰しなくなったとしたら?

水の裏切り。いやタイトルとしてはなんかダセえな…。
いつもいつもどこかで信じ切ることができない世界観で生きていて、その代償を織り込み済みで、信じるもののない生活を背負って生きていけるならそれでいいんだけど、本当は何かを信じてみたくてたまらない人は、…どうやって生きていこうかしらね。
少なくとも、「どうやって生きていけば『いい』?」なんていう表現が口をついて出ないように、一緒に気をつけましょう。
未来を見てきたような物言いで、恐縮ですけどね。