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ものすごくお好み焼きが食べたい。酒はそんなに強くないが、炭酸で割った何かを飲みながらお好み焼きを口いっぱいに詰め込みたい。

生来のルーズな性格に加え、基本的に請負仕事のため起きる時間がまちまちの私は、家族と朝食を共にすることがない。朝の私はコーヒー豆を焼いているか、ドーナツを揚げているか、さもなくば寝ている。子供の朝の身支度を、妻に任せっきりなわけだ。

夕飯はまだいいけれど、朝食を家族と過ごすのが苦手だ。朝の気だるくて鬱々とした時間をあんまり人と分かち合いたくない。なるべく1人で膝を抱えて過ごしたい。理由は知らない。

その割に、幼い頃の朝食の風景は印象に残っている。皆んなの分の納豆をかき混ぜて拵えるのは父の仕事だった。卵と付属のタレ、カラシは抜き。朝食の集まりに嫌悪感を覚える事と、朝の風景を克明に記憶していることは矛盾せず両立する…。

喜ばれる事が分かりきっている事を実行に移すのがとても苦手で、病的なまでに苦手で、喜ばれるか分からない事しかしてこなかったような気がする。でもこれはきっと習慣の問題で、喜ばれる可能性のある事を何度となく繰り返しているうちに、相手から帰ってくる予想通りの笑顔を張り倒したくなる気持ちも影を潜めてきた(まだ息の根までは止まっていないので、たゆまぬ自制が必要)。

自分の好きな事を続けていたら、たまたま相手も気に入ってくれた。そういう偶然だけで生きているので、あなたの喜ぶ顔が時々ものすごく、目障りで疎ましい日がやってくるのだ。