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「工夫」という言葉は面白い。可笑しい。滑稽だ。馬鹿みたい。
色眼鏡の一生外せないお父さんお母さんか、学校のセンセか、考えなしに口から出まかせを発する友達くらいは騙せるかもしれない。テキストベースで言えば、だけど(つまり腹の中で何を考えているのか、ちゃんと言葉に直すことのできない人はこの世にゴマンといるわけで、彼らの賛美は消しゴム以下の利便性しかない)。
工夫を凝らす、その言葉で表現された範疇の行いで、人の心に肉薄することはできない。
小手先の技術の巧拙に手を焼いている間、あなたや私の頭の中をよぎるのは無数の「考えないようにしていることがら」じゃないのか。
そこから目を逸らしているうちは人の心に肉薄できない。せいぜいありもしなかった嫉妬心を掻き立てる程度なんじゃないのか。


具体例を挙げてみよう。
コーヒーの抽出で考えてみるか。
まずはミルが豆に与えるであろう摩擦熱をどれだけ除去できるか。
微粉と呼ばれるもの、チャフの粉末を除去するかどうか。
お湯は沸騰してからすくなくとも何分、沸いた状態をキープさせるか。
投入するお湯の温度、ドリップポットの素材から予想しうる湯温の低下具合と、風味を壊さないために再加熱を避けて熱いコーヒーを提供するとすれば、何分以内にコーヒーを淹れ終えるべきか。
そしてその制限時間内でコーヒーを淹れ終えた場合に理想的な風味となりうるコンディションに、目の前の粉は至っているのか。などなど…


上に挙げた検討材料は、ごめんなさい、イベント出店の際は全く考えてません。
出店スペースの問題もあって、家電量販店で買った最低限の機能を有したコーヒーミルで挽いてますし、微粉は除去しませんし、お湯の温度は全く考慮しませんし、制限時間も気にしていませんし、豆のコンディションはだいたい焼きたてのものですがベストコンディションではありません(だいたい焼いてから1週間くらい経った頃が一番風味が立つ気がしてます)。
このあたりの検討材料を考えないうちは、私の淹れるコーヒーなど学芸会の出し物レベルで、原価とか手間賃みたいな大義名分を理由とするから機械的にお金をいただけますけど、時々恥ずかしくなります。
私は焙煎人であり、バリスタではないから、コーヒーの抽出技術に関して考えないようにしている。人にはそうやって説明している。
本当はどうすれば美味しくコーヒーが入るのか、全くよくわからない。
たまにとんでもなくいい香りがするときもあるし、そういう時は大抵疲れて多少巻き気味に淹れている時だったりして、しかし好みの香りがしなくてがっかりしながら提供したコーヒーを、目を輝かせながら「美味しかったです」と告げて後にするお客さんもいたりして、さすがに他人様に対して「言語化も満足にできない下等生物めが」などと思ったりはしないので、かの言葉は真実であろうと受け止めるわけですが、そうなるともう本当にコーヒーの抽出がわかりません。
私個人の印象としては学芸会の出し物レベルの工夫しか凝らすことができず、頭の中を「考えないようにしていることがら」がいつも渦巻いているわけで、しかしそんな人間の淹れた液体が知らず知らずのうちに人の心に触れていく、これは夜盗とか追い剥ぎみたいなものだろうか。

工夫の範疇を出ることは、もしかしたらできないのだろうか。
私の抱いている「技術」と呼ばれるものに対する憧憬は、幻想なのだろうか。
考えないようにしていることがら達をぎっしりと詰めた木箱の、埃の積もった蓋をなでながら。