靄の中で

ハネムーンの行先は中米を漂う難破船だった 妻は私に、あなたはここで死んだのよ、と言った 家からここまで一緒だったはずだが…伝えると、そうだったわね、と妻は言う 私の生き死には、今は些細な問題なのだろう 靄で見通しが悪く、...

嫡果

綿を見てる 綿を見てる 摘み取られたばかりの綿を見てる 傍には桑の木と、彼以外の全ての蝉が役目を終えて死に絶えた後に這い出てきた蝉が摘み取られたばかりの綿を見てる 豪雨の中…灯りを囲む人々の瞳は優しく暖かいのに私の前にだ...

知らない場所はない

インターホンが鳴って、俺は列をなした運び屋を順番に部屋へ招き入れる。 彼らの手にしたものはてんでバラバラ。 顔を紅潮させて巨大な段ボールを抱えているものもいれば、何事かが書かれた四つ折りのペーパーナフキン1枚、ひらひらさ...

牛の血を盗む

ダニオロの父の首は、朽ちかけて今はもう取り壊すばかりになった公団のB棟、その屋上、干上がった給水塔の中で見つかった。 三日三晩、逃走劇の後、自警団の連中はひょっとすると、誰もホシの顔を知らないという事に思い至り、歩みを止...

遠い

ケストナーの稼業は辞書の編纂、それも引用回数の少ない語句の削除を担っていた。 少しの創造的な野心も持たずに未来をmanipulateできる愉楽に首まで浸かり打ち震える彼は、一生を、この仕事に費やしていきたいと、念じたろう...

時間がない

雪が滑り出して川面が干上がっても、びくともしない資産をお持ちの男が言った なんせ、私は一位なんだぜ。皆の記憶にも新しいだろう、語り種となったその一局は数年に及び、ダイジェストがダイジェストを呼び、戦果は限りなく短い時間で...