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日記がかなり滞る。
最近どうですか、自分自身に尋ねる作業…とまでいえるのかは分からない。
人をどやしたり急き立てたり、悪態をついたりぼんやりと窓の外の枯れたサザンカの花を疎ましく眺めたりしつつ、夜は穏やかな心持ちでぐっすりと眠る。
誰かを傷つけて回って、夜には幸せな気持ちが枕元を訪れるなんて間違っている、徹底的に間違っているので、おそらく私は畳の上では死なない。(しかしウン十年と愉快な暮らしを送ってきたうえで、死に際の場所が気になるやつなんかどうかしている。どこでも良いしどこでだって死ぬ時死ぬ。)
誰かを、他人を傷つけてしまっている事は分かっているのに当人から感謝をされたり慕ってもらえたりするわけだから、混乱を極めてしまう。好き勝手に話しているだけなのに人が何かを持ち帰ってくれる。
ならば、私は人に対して善行を働いており、この「傷つけてしまった」と考える意識だけが間違っていて、それだけがどうにも始末に負えないやっかいな代物なのかもしれない。

わからない。人に悪態をつく場合は誠心誠意、持てる語彙の限りを尽くして詳細に描き切ってやろうという気概でキャンバスに向かう(もちろん比喩だ)のだが、自画像が描けない。
煙草を取りに行っている間に考えた事としては、もう自分の人生に訪れるありとあらゆる出来事に倦んでしまっていて、しかし明日死んだとしたら化けてでてやるくらいやり残した仕事が沢山あると思っているがために、死ぬことに対して異常なまでに恐れ慄いているという、矛盾した考えが頭の中を行ったり来たりしているのかもしれない。
猫はいなくなった。父も亡くなった。妻と子はニコニコと、一見コミカルに、その身には静かに炎を湛えながら生活を送っている。私だけが、方々に後足で砂をかけながら暮らしている。

何らかの技術やノウハウを身につけることやゆっくりと感じ入って得た知識の集積は、つまるところ、この世に決して捨て置いてはおかれない未練のようなものを醸造…自作した結果であって、それがないと生きてゆかれないが、それがあるために死にたくない。
なんだか質の悪い詐欺行為を自分自身に施しているような気分だ。