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とある人のコラージュ作品をじーっと眺めていると、複数の女性の顔の一部をつなぎ合わせたものに目が留まる。
マスカラと相まってより長く強調されたまつ毛と菱形に近く上へ向かって切れ長に開いた瞳、その周りを囲むそばかす、顔の全容はわからぬままに瞳のすぐ左は少し上向いた女性の左頬、唇へと接続され、さらに上へゆくとまた全く異なる個性の女性の瞳へと連なってゆくそのコラージュを眺めているうちに、少しと言わず、悲しい感情が私を訪れる。

うまくこの感情を詳細に記述してみたいのだが、筆致がうまく行き届くかは不安である。

どこかの民族…記憶が曖昧だが(アフリカの遊牧民だったような気がしている)、強い感情が想起させられるような行事などを固く禁じている民族がいたはずだ。
その心情を、私は心の両極で理解し、と同時に唾棄する。なにものにも楔を打ち込まれていない軽やかな人生を歓迎すると共に、何にも心を痛めない人生を悍ましいものだと感じているためである。

心の形状を秤の針に喩えるのであれば、両極に理解を示すことでどちらにも針を振らない凪いだ心を得られているような気がしていたが、今日はそのコラージュによって右側へと(左でもどっちでもいい)針を大きく振る形となったような気がしている。

つまり、私にとって強い意味性を主張するに至った(至ってしまった)物事、モノ、それ自体をバラバラに分解して、引き裂いて、他のモノと繋げてしまい、私にだけ強く作用するその意味性を破壊して広く一般的に認められる、「ごくフツーの美」のようなものに昇華してしまいたい、という欲望が生じたのである。

なんでわざわざ壊す?という疑問はある。今日の日記は手記や備忘録に近いので、こざかしいレトリックなど使わずにいろんな可能性を併記してみよう。
自分の人生の中で「美しいもの」の表象が頭打ちになってしまって、これ以上の何も求めない、といった心境があり、その対象を破壊してもっと美しいものを探したい欲望。
または、そういった美しさに従属する情けない感情との訣別を求める心。
単純な破壊衝動。
まあそんなもんか。
後は思いつかない。
おもったより安直で子どもじみた考えばかりだ。
だけど、私は手元に何一つのモノも残ったことはない。
きっと新しい遊び道具が欲しくて、古いものを無い無いしたくて、うずうずしてるだけなんだろう。