2/13

最近仕事の合間を縫って、今日までのエピソード記憶を引き継がずに高校3年生の頃にタイムリープして、全く別の土地の大学に入り直す…という設定のディテールを詰めていた話の続きです。

描き始めて1日目に、今日まで生きてきたこの人生は嫌だ、創作した世界で生き直したい…といった感情が頭の中をぐるぐるぐーるぐる、駆け巡っており、ひとまず紙の上に展開されたこのストーリーを完走させようと夢中になっていたのだが、今日、私の心は完全に手のひらを返し、ノートに大きくバッテンを…不採用の烙印を押すに至った。なんだそれ。
経緯としては単純に、いわゆる「セカイ系」に感じる不衛生なご都合主義を払拭する想像力に欠けていた事がある(新しい土地の大学でどんな友人と出会い、どんな刺激を得るか?って考えるのが、とても難しい!)。
そして、今日までの世界を全否定することでしか、どうしても戻りたいとある一時点のかけがえのなさを感知することができないニブチンな人間は、何度人生をやり直しても同じ失敗をするだろうという、まあ端的に言えば自分に見切りをつけるに至ったのである。

結構な量の文章を書いた。
それらは、私に不必要だと断じられるために描かれてそして誰にも見せることなく葬られていく。
サンクコストに心奪われてはならない、と、経営学では教えられるわけだが、まったくその通りだなーなどと考える(経営関係のノウハウでしか現前する事象を捉えることができないのはとてもとても興醒めである)。
見せることと見せないことの塩梅。
パンクバンドの人だって、セブンス弾きたくなる時はあるでしょうに、人前ではパワーコードに徹する。
習作では人の心に訴えることはできないと、理解しているのかもしれない。
捨てるために拾ったものや、捨てるまで取っておくもの。
荷物は軽い方がいいと昔上司に言われた。使い古されたクソみたいな表現だと思ったが、使い古されていても、実現可能性が低いものはゾンビのように何度でも蘇って私の喉笛を掻き切ろうとするだろう。
荷物は軽い方がいい。成し難いから使い古される金言。