『Manny’s』というホラーゲームがある。
無人島で飢えと乾きに苛まれ、今にも息絶えそうな主人公の眼前に突如としてファストフード店 Manny’s が現れる(ファストフード店と聞いてイメージされるものの大体がそうであるように、 Manny’s もハンバーガーショップである)…というところから物語は始まる。面白そうでしょ。
今からはまあ、本編とは全然関係ない話をしますけど。
汗を味方につけ、身体に巻きついて離れない砂埃、海辺にまつわるあらゆる汚れを取り込んだTシャツ、無精髭と塩で固まった頭髪、何日も磨いていなかった歯や舌の滑らかさを奪いつくした喉のヒリつき…。
島にまつわるコンテクストからかけ離れた、清潔で磨き上げられたファストフード店の自動ドアをくぐって無機質な白色灯の下に晒された瞬間、今の今まで身体を構成する一部と化していたそれらの要素の全てが、主人公の心中で、その性質を「不快で忌むべきもの」として変貌を遂げるであろうことは、容易に想像がつく。
「忌むべきもの」を生み出す契機は…いや、「忌むべきもの」の烙印を押す契機はいつだって世界からの要請であって、基本的には自分の身体にずっととどまっているものはよだれの跡ですら愛しいものである(と、俺は考える)。
コーヒーの屋台を構えて仕事をしている。冬は寒い。夏は、滝のように汗をかく。ギグワークなんてかっこいい表現もあるが、売上の多寡に収入を依存する不安定な仕事である。ブルーカラーど真ん中。
それでも、自尊心と呼ばれるものがひとつの傷も負わないのは、お客さんも汗をかく仕事だと多少は了承してくれ、ねぎらいの言葉をかけてくれるからである(もし、汗だくの私に不快感を覚えてる方がいらしたら、ほんとごめんなさい)。
だがしかし、この仕事が撤収を終えた後、地下鉄に乗って、過積載ぎみの狭い車内で汗だくのところどころ塩の跡が残る服を人目に晒したのち、オフィス街の駅からほど近い、ハイブランドから食料品店まで様々なテナントの入った25階建てほどのビルの高層階に構える会社に出向き(エレベーターで部下を従えてランチを終えた顔見知り程度の同期と鉢合わせて少し会釈する)、上長に売り上げ報告を済ませた後にデスクワークを強いられるような仕事だったとしたら、どうだろう?
みんな清潔で折り目の際立ったスーツに身を包み、汗ひとつかいていない中、紫外線に晒され続けて首の後ろだけやたら黒ずんだ私が、汗の冷え切ったTシャツに胴震いしながら処理速度の遅いデスクトップに何事かを打ち込んでいる。その様に、もう慣れっこになってしまった同僚たち、思うところはありながらも何も言うまいとしている、みたいな職場。
ちょういやだ。
死の間際は、畳の上に横たわっていなくてもいいとは思う。晩年を、あまり快適でない棲家で終えることは何も苦ではない。貧乏も、自分1人だけであればなにも怖くない。
だが、その死の淵に差し掛かった瞬間、その私のさまを誰かがわざわざ見つけて、そして不快感に目を歪め、鼻をつまみ嘲笑うとしたら…。
今際の際で、自らに「不快で忌むべきもの」の烙印を押すように要請されること。それは死ぬことよりも何百倍も苦しい責苦である、気がする。
そうはならないために、ある人は一生懸命がむしゃらに働き理解者の傍でその生を終える。
そうはならないために、ある人は徹底的に人を遠ざけて軌跡を抹消する。
どちらにも、軽んじることのできない理がある。それはわかる。