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どうしても、彼または彼女でなければならない、という状況はかなり少ない。
たとえば私と同じ昭和63年生まれの男性にどうしても用事がある場合、68万人も代えが効く(話の要旨とは別に、同年齢の男性が思ったより少なくてびっくりしています)わけで、私でなければならないと言うのならば残りの67万9999人に当たってから…もういちど同じ唾を吐いてほしい。こういうのをヘンペルのカラスというのだったろうか。

「あなたでなければいけない」という言葉でもって裏打ちされている事実は、選ばれたところの私の持つ特定の資質が、余人を以て代え難いものである、というものではなく、選んだところのあなたのリサーチ能力の不足、時間的制約により判断を迫られたため、やむを得ず下した暫定的判断、というものでしかない。自分で言うのも恥ずかしいが、相当に捻くれているな。

もうひとつ、重要であるが顧みられていない可能性がある。
選んだところのあなたが「あなたでなければならな」くなっている、もしくはそれに近い精神状態に陥っている可能性である。
と、真っ当に生きていれば当たり前に理解できそうな物事をダラダラと書き連ねている。でもこれが理解できない体勢…骨組みというのが存在している。気がする。
プレパラート越しに微生物を覗いたり、時速という概念を用いて移動速度を計ったり、ある物事を、とある一時点に限定して切り取って観察するやり方で世界を捉えると、観察者である私たちの尋常性に疑いの目が向けられることはまずない。正方形の縁を時速40kmで移動する点pを眺めるケイコさんが、ハシシを決めてハッピーになってる可能性はここでは唾棄されている。

なにが言いたいのかよくわからなくなってきた。
人と何かを成し遂げることは非常に難しい。
「あなたでなければならない」という言葉は文法上は何も問題なく使用に堪えられる。しかし、その言葉を吐くあなたも、吐かれた私も狂ってる可能性は、常に頭の片隅に置いておかねばなるまい。