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「エモさで覆い隠せないほどの違和感」という表現いいなー。
フィクションもので登場する、物理法則的にはトンデモな代物や、それまでの振る舞いからは考えられないような掌の返し方で「行って来な」と主人公の背中を押す恋敵、みたいな存在って、エモさで目が眩んでいる時はすんなり受け入れられちゃうんだけど(エモさ、が表現として適当であるかは微妙。感情移入、とかの方がしっくりくるかも)、少し距離を取って目をやると、噴飯物だったりするよね。
最近は、銃弾を浴びせまくってきた主人公に身の上話をして絶命していくメタルギアソリッドの愛すべき敵キャラに対して、涙をうかべつつもおんもしれー!みたいな感情を抱く。心が忙しい。感情のシャトルラン。

子供の成長を見てると、感情の機微は決してアプリオリなものばかりでなく、出くわす一つ一つの場面で、何を思うべきなのか、勘が働いていないんだろうなーという瞬間が見てとれたりする。
怒ったり悲しんだり、というメジャーな所作も、最初のうちは、いつぞやの親の振る舞いや見て聞いた物語の焼き直しであって、それがいつの間にか彼の彼女の持ち物として機能を始める。
いや、大人になっても案外、誰かの振る舞いの猿真似みたいな返答をしてしまうことなんかしょっちゅうある。あるよね。
さらにいえば、もう全く予想もしていなかったような話を受けて、思いつくあらゆるレスポンスの、そのどれもが場面に相応しくないような気がしてしまって、フリーズしてしまうことだって、たまにある。あるよね。
たまたま、まだ何にも描かれていない真っ白な部分に絵の具が落ちて来ちゃった、みたいな。

身体のどこを切っても、どれだけ小さな切り傷であっても、血は滲み出てくるのに。返答というものは、毛細血管みたいに身体中を網羅してくれてはいないのだな。
何が言いたかったんだっけ。
接客業として過不足なく対応できるように、ひいては人に優しくあるために、なるべくいろんな経験を蓄えて、返答に困る場面を少なくしよう、少なくしようと躍起にはなっているわけなのだが、そうすると今度はエモさというものが弱体化していってしまうなあ、などと思う。
どこを切っても間違いなく滲んでくる真っ赤な血の匂いに、なにも感動を覚えないのもどうなんでしょうね。バランスって難しいですねえ