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「筋肉は決して裏切らない」とは、どちらかと言えば笑いの文脈において引用されることが多いのかもしれない、けれど切実な問題である。
朝、起きて布団から這い出る。
手のひらに力が入らない朝なんてものが、幼い頃は何度かあった。
握力は自分がこの世にアクセスするための唯一の手段だ。
これは自論の域を出ない。
しかし、雲梯を握りしめる手のひらの力に限界を感じて、離そうか離すまいか、逡巡するあの時間に訪れる不安感には誰しも思い至るのではないだろうか。
足元は変哲のないグラウンドであるのに、深い奈落に転げ落ちてしまうのではないだろうかと、錯覚してしまうような不安感。
自分と世界との間には常に肉体が立ちはだかっている。
みかんを食べる。酸味と甘味による快感に咽び泣いているのは、私というより肉体である。
そんな点に思いを馳せて、肉体と自分とを結節している場所にグググと指を入れるようにして意識を滑り込ませてみると、この体こそが所与の、一番最初のアバターなのだろう、といった意識が生まれる。
なんだか気味が悪くなってくる。肉体の喜び以外を私が知らないことにも、不安感を覚える。
私自身の快楽とはなんだろうか。