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昨夜は瀬戸の『ひしの夜市』という催しでの出店であった。帰ってきて目が覚めたら、起き上がらなければならない。いつもそうである、起き上がらなければならない。
悲鳴をあげ尽くした腰は声を涸らして、音も無く啜り泣いている。体中の筋肉がほぐれてくるまでの、ぎこちない朝、足の踏み出し方を思い出すまでの時間。
新しいドーナツの生地の反応は上々であるが、まだ物足りない部分がある。小麦と水と塩を捏ね回したものを、微生物の力で膨らませて揚げるだけの代物から、余計な風味だと感じるものを取り除く工程、これだけでも結構な種類の絵の具を使う(比喩である)。そして究極に七面倒くさい作業は、昨日の出来と今日の出来で、何が異なっているかを正確に感じ取る作業である。今日も明日も、同じ人格の人間である必要性がここに生じる。
見上げれば上弦の月。月がたんまりと光とたたえていないと、どうにも調子が出ない気がしている。明日は塩の量を変えてみよう、寝かせる時間を早めに切り上げよう、小麦粉は別のものがいいだろうか…?
少しずつ、ひとつずつ、値を変えて代入して、結果を見て食べて落胆して、小躍りして、それを繰り返して、裁定する、私は昨日と同じ人間だろうか?これだけは尽きない疑問であり、物事を突き詰める際に爪に深く食い込んだ棘のように異物感から身を捩らせるような真似を私に強いる。