10/27

今日は朝から焙煎をしていた。明後日からの東京遠征に向けた仕込みである。
焙煎機に関して、あまり多くは語ってこなかった。この日記でも、多くは語らないようにする。ひとつ言えるのは、ブタ釜がほしいということだけだ。

ゲーム実況の動画も合間に観ている。小学生時分、プレイしたくてたまらなかったものの、ソフトは買ってもらえなかった、FF8のゲーム実況である。
あんなに欲しかったのに、どうして買ってくれなかったのだろうと、当時を振り返ってみるに、おそらく私はその願いを親に伝えていなかったように思う。奇しくも、自分の思っていることを頭の中に留めて言語化することを厭う主人公が、快活なヒロインとの交流を経て、傭兵部隊の指揮官として成長していくゲームを、それが欲しいと言語化することができなかったがために当時プレイすることができずにいたわけである。滑稽な話である。

作中のスコール・レオンハートという主人公は、当時まだ幼かった私のヒーロー像を余すところなく具現化したような見た目で、現実の延長にある美男子の域に留まっているがゆえに、わたしは嫉妬にも似た感情でゲーム雑誌のFF8特集を舐めるように見つめていた覚えがある。前作のFF7よりも恋愛要素が強かった点、敵としてだけでなく、恋愛関係の上でもライバルが存在していた点でも、やきもきさせられた。自分以外の他者に「なりたい」といった感情を惹起させられたのは、あの頃だったように思う。

憧れの対象物に自分が近づいたところで、腰が痛くて動けない、情けない朝が訪れ、昨夜食べた筋張った肉か何かの詰まった歯の間をブラシで磨き、寝癖を直し、納税のために働く生活が続いていくことは変わらない、という事実を実感するのはもっともっと時を経てからであって、わたしはわたしの憧れの的からは永久に外れたままなのである。

仕方がないので、わたしは誰かの他人の目を借りて、彼ら彼女らの憧れの対象物としてのふるまいを全うすることにより、彼ら彼女らの瞳を通じてわたしを見つめることで、わたし自身の満足を得るという、離れ業に近い所業を続けるしかない。

“You are someone’s reason to masturbate.”
これは tumblr で見かけた一節である。
ここで伝えようとしている事柄と今回の文脈が、必ずしも一致するかは分からないけれど、愚かだとは知りつつも、わたしはわたし自身が誰かのフェティシズムの対象物となり得ることによって生きる生き方を肯定する。あえて大っぴらにする必要はないけれど、人間は高尚であり続けるには弱すぎる存在だと思うからである。