パワースポットなんていう、呼称が流行りだす前は、個々人にとって「それ」に当たる場所は何と呼ばれていたのだろう。もはや思い出せない。くやしい。
私にとってのそれは、海の向こうにある(くやしいのでパワースポットと言いたくない)。
海の向こうといっても、海外ではない。
瀬戸内に浮かぶ(ほんとに浮かんではいない。こういう言い回しが正確さを欠いているのが逐一気になる)、人口千人に満たない小さな小さな島、豊島である。
徳島県に住んでいる間、仕事の関係で2回ほどお邪魔した。徳島を去り際、もう一度だけあの島の空気を吸いたいと思い、妻と子を連れて訪れた。
豊島のなにが私に対して訴えかけてくるのかは、うまく言葉で言い表せられない。
霧雨の中高松から乗り込んだフェリーの乱暴な揺れ(瀬戸内の島なのに行くときはなぜか雨ばかりだった)。
港に集まる野良猫の群れや一つの信号機もない静かな通り。
軽トラのエンジンの始動音。
通奏低音のように、いつも視界のどこかに腰を据えている壇山への憧れ。
ベタ凪の海と、産業廃棄物を運ぶ巨大な船の行き交いのコントラスト。
あの島で暮らす人々のすべての寝息が、島を離れてもしばらく私に付きまとって、眩暈を覚えるような心地がこびりついてなかなかに離れようとしない。
辺境。世界中の、さまざまの人々から思い起こされ、形づくられる場所。
まるで絵画の中に飛び込んだような心地だったのかもしれない。
あの島の人々は、町に住む人よりも少し長い夜を、何を思って過ごしているのだろうか。
清須には海がない。帰り道がわからなくなりそうだ。