あんまり遠くに行きたくない

おしゃれをすることに興味が芽生え始めたのはいつ頃だったろうか。
クローゼットを飾り立てるお気に入りの服たちに恍惚とするのは、ほんの少しの間だけだった。
逆立ちしようがどれだけ勉強を頑張ろうが、足は二本から先増える兆しはなく、体もひとつしか与えられていない。大好きなあの子と映画に行くのは明日の土曜日であって、明日あさってと、続いていくわけではない。
どれだけおしゃれに時間を費やそうが、羽織っていける上着は一着しかないことに思い至った時、私は服をたくさん持つことができる気質ではない、と悟った。
ませている?私という人間の把握できないところにまで、私という生き物の足跡が残るようなことは、したくないのだ。多分。
死ぬときは四畳半(賃貸物件は流行り廃りがあるので、最近は6畳の方が多いかしら)の安アパート、万年床の上で、夜食べ残して湿気たスナック菓子を食べ、煙草を吸いながら…。が、一番幸せに思う。あ、でも孤独死になると、後処理で人に迷惑をかけるなあ。
話がそれた。いや、本筋がどれかは私にもわかっていない。
エレベータに生まれ変わったらどうしよう、という恐怖がある。
わけも知らされず、誰かの都合で、上に行ったり下に行ったり、を永遠と続けなければいけない恐怖(しかもどちらも行き止まりがある!)は、わたしにとって想像を絶するものである。
この恐怖と先述の服の話は、私の頭の中のどこかで、直線状に配置されて密接ではないが確実につながっている。
昔借りていたアパートには小さな庭があった。
野菜を植えて育てたいと思い、買ったばかりの綺麗な鋤で掘り返してみたところ、土の下はコンクリートだった思い出がある。
足元に人工物を、それも私と大地とを隔てる蓋を見つけてしまった時の息苦しさは、ことあるごとに私に寝苦しい夜をもたらしてくる。
私は、同じ話の違う側面をなぞっているだけのつもりだが、あまりよくわかっていない。
今暮らしている生家の庭には、小さくてごつごつした石が土の上にまんべんなくばら撒かれている。
雑草が生えないように蓋をしているそれらを、私は庭いじりのついでにどんどんと脇にどけている。そのうち捨ててやりたい。
たぶん私は、あんまり遠くに行きたくないのだ。