話し声を聞きながら眠る

今日は一日ソワソワするような風に当てられ、涼しく過ごせ、しかし日中の勤めを終えて家に帰ってから、台風の去来を告げる風に日中と同じように当たっていると、私の心の中に私一人を除いて誰もいないことに思い至り、これはなんとも、如何ともし難いほどの寂しさを植え付けてくる。妻と子は寝ている。男親…それも、仕事が軌道に乗る準備期間にある男親の寂しさとは、こういったものだろうか。

母や産婆の力添えがあって、生まれ、死ぬときは一人だ。思えば毎日の眠りに落ちる間際も、やはり一人だ。握っていた雲梯を手離すと決めた時も、初めて見る料理を口にしようと決めた時も、やはり一人で、常に一人である時間の総量は、そうでない時よりも遥かに多い筈だ。しかしこの不足感はなんだろうか。誰かがここにいたのだろうか。分からない。

誰もいないリビング。私が一番遅くまで起きている。かつては兄弟や親の話し声を聞きながら布団に入って眠りにつくまでの時を過ごした。誰かの話し声を聞きながら眠る。傍の笑い声は、私に向けられているのかもしれない。そんなことを考えながら目を閉じる。

こう死にたい。そういう寝入り端があるのだ。