耳に残るのは

コーヒー豆を焼き終えて、朝はランタナを切り詰めていた。
シチヘンゲとも呼ばれる、カラフルでころころとした可愛らしい花にたいする愛は、他人の花壇がなせる技。
私の家にあっては、どこまでも陣地を広げる厄介者。
半端な切り戻しでは、枝がてんでばらばらに生えてしまうだけなので、思い切って根本近くまで切り詰める。あちこちをのたうつ枝は見た目にも苦しそう、とは、人間の私の、自分勝手な解釈だろう。
体を拘束され、時間を切り売りする代わりに、お金を確実に一定額、もらえるような営みから遠ざかって、早2か月が経とうとしている。
エンジンの回転数を上げて…走っていたはずの道路を、気が付けば荷物だけを手に歩いていたような心地である。
思いだされるのは、午後11時を過ぎて電源を落とされたエスカレータを上るときの、脳の錯覚。
エスカレータの存在に慣れ切った私の体は、まったく同じ外見だが、上にも下にも微動だにしない、無数の溝のある階段というもの受け入れることができないようだ。
足を踏み入れるたびに、先走った意識が後ろを振り返って、置いてけぼりにされた体に慌てて舞い戻るような感覚を得る。
耳に残っているのはエンジンのあげる咆哮、ボンネットにぶつかって後ろに流れていく風の音。
それだけであるならば、私はのんびりと、錆びたガードレールや手入れされずに伸び放題になったセイタカアワダチソウを横目に歩いていけそうだ。