百日紅

ずっと空にあった大きな大きな雨雲は、結局一粒の雨ももたらさなかった。
私も草木も雨を渇望しているような気がする。
愛知県は昔、夕立なんかなかったのに、この8月はなんどか、慈雨に預かれた日があった。
クマゼミと共に北上する何事かが、夏の緑をさらに深めてしまったのだろうか。
夏の間でも、いやむしろ真夏日にこそ満開に咲き誇る百日紅は、アスファルトと鉄筋、ガソリンにまみれたビル街で鮮やかで貴重な色味である。
しかしこの熱で、人がばたばたと倒れ、目を焼かれ、穴倉にこもらざるを得ない夏の中で、ほっそりとした梢を風にのせてけらけらと揺らしながら、花をさかせているあの植物は、どうもなにか、おかしいんじゃないだろうか。
壊れてしまった何事かをみるにつけ、私の中でにょきっと芽生える寂しさを思い出す。