魔女狩りの経験を経て、急速に高まった他者への関心を満たすべく、小説と呼ばれるものが生まれた。らしい。日本は?魔女狩りと似たような性質の出来事や取り決めは、挙げればキリがないと思うので、元から他人への関心が高かったんじゃないかしら。
映畫『沈黙』で、主人公に対して突然日本語で懺悔を始めた片桐はいりの口ぶりに、嫌悪感を伴った既視感を覚えた人って、たっぷりいたんじゃなかろうか。耳にするのはいつもいつも、噂話。
のぞき趣味、と表現するとかなり聞こえが悪いが、だいたいの創作物において、のぞき趣味以外の欲求を満たすものって少ない気がする。
美しさに、肉薄しようとしているものって、あんまり食指をそそられないものなのだろうか。
元々はないものを、あると思い込んで、そこを起点に手や足を動かす方がとても気は楽で、「水は低きに流れる」みたいな言葉を思い出しながら背中をヒヤッとさせる汀に立ちながら、飛び込むのに都合の良い水場をいつも探している。私は、無理矢理にでも水に飛び込まねばならないと自らの決断で思い込んだ。だって、どこにもいけなかったんだもの。
私にとって自由ほど手に余るものはない。そうなんだろうか。悲しい朝。それにしても眠たいな。コーヒー豆を焼こう。