湯の中を泳ぐ

バンドがやりたくて、楽曲を書いてみたいと思い、まず手にした本は楽典であった。
私の人生の中で数少ない、鳥瞰図を手にしてから町を歩こうと判断した場面である。
猛烈に詩が書きたい。
好きな詩人ができ、何度も読んでいるうちに、彼の手が作り出す波の周期が見えてきたような気がした。不可思議な彼の日本語の行軍には図形、または数式が隠されているのだろうか。そして彼の言葉の上で捻じ曲げられた(言葉の世界の中でのみ成立している)物理法則は、どういった哲学が隠されているのか。
ルールが見えた瞬間がいちばん興ざめである。
横書きの手紙の最初の一文字を、縦読みにしたら、激励のメッセージが俗悪な呪詛だった、なんて、陳腐が過ぎて、書き手の意図したところとは違う経緯で、臥せってしまいそうだ。
どうすれば私は、例えば熱湯の中を泳ぐ魚が描けるだろうか。
バンドがやりたくて、楽曲を書いてみたいと思い、まず手にした本は楽典であった。
詩を書きたい私が、いま手にするべき本は、果たしてなんだろうか。