戦場に行かなくても

人は海の向こうから故郷にないものを連れ帰ってくる。よくある。
今では日本中に生え、所によっては御神木のような待遇にあったりするけれども、楠だって海の外からやってきた、らしい。
ロックとかジャズとか、疫病、新しい宗教、海や山を横断していく。
ヌートリアは、意図して日本に持ち込まれた巨大なネズミの仲間で…大戦中の防寒着として、その毛皮が珍重されたらしい。
最近はカピバラがもてはやされているが、ヌートリアはそのカピバラに、巨大なミミズを思わせるおぞましい尾、よく目立つオレンジ色の歯茎を足したような見た目をしており、何かとネズミに悩まされている今生では、決してかわいいと思えないルックスである。

数年前、近所の田園を――田園と言って想像されるようなのどかな風景は清須には無い。バイパスと人工のドブ川と板金工場群に挟まれた退屈な一帯である――そこを歩いていると、休耕田の伸び放題になった蒲をかき分けて一匹のヌートリアが私の眼前に躍り出た。
「ほ…保健所…?」ヌートリアに対する予備知識の少しも持ち合わせていなかった私の口をついて出たのはその程度。偶然居合わせた訳知り顔のおばさん曰く「あの子ずっとここに住んでるのよ」「けがしてるのよ、あの子」だそうで、私はこの状況下で取り乱してはならない事を彼女の横顔から悟った。

その「あの子」の棲み処が今日、真っ黒こげに焼き払われて、その叢中に棄てられていた電子レンジや掃除機が積み上げられているのを見た。
どこからか運んできた土砂で海を埋めてできた土地に、津波が良く押し寄せるってんで拵えた防波堤の上、チョークで地面に落書きする子供らをとがめることはできないのと同様に、私は視線を戻して車に乗り込んだ。