恋し坪井

日がな一日ギターを弾いて過ごした。われながら暢気なものである。
豊かな語彙を、無機的でもあり爽やかでもある歌声で歌い上げるスピッツが好きだったが、ある日歌詞をじっと見ていると、なんだこれは、全部恋人に捧げる話じゃないか!全部ピロートークだ!そう感じてパタリと、聴くのをやめていた。薄情なファンである。
たまには人間に歌を捧げたっていいだろうに。
でも滑空の初めから、地べたを這うことを目指す必要はないだろう。
仕事をするなら別の宇宙を目指そう。
それはコーヒーの粉の底に漂っているのかもしれない。
成層圏の上、熱圏と呼ばれるところ以外にもあるはずだ。
意外、私の中に潜んでいる、いくぶん体育会系で、依って立つところのなにもない根性論を諭すオジサンのような生き物。
人間が人間以上の力を持ってはいけないと、常々思うが、志すのは悪くない気がする。
私が孤独であるならば。

「わしになれ、でなければ去れ」だったか。
バガボンドは大好きな漫画のひとつである。
技芸や武術の、どうしたって共有できないブラックボックスと化している部分、当人の体の無意識の働きや言語化できていない判断を、無視することも、明け渡すこともできない。
連綿と受け継いで行けるものは、表層の部分であり、残されたものは手元のコードの解読に明け暮れる。
でなきゃ人間はとっくに滅んでいるだろう。やることなくなっちゃうんだもの。
私は今、煙の立ち上りかたを見て、コーヒー豆を焼いている。
多分、出鱈目な方法論だと笑う人もいるだろう。
獅子鼻を大きく膨らませて、もっと大きく鼻で笑ってくれよう。
今までのやり方は徹底的に間違っていたと、頭を抱える日が来るのか、あなたの焼き方を教えてくださいと、門を遠慮がちに叩く人が現れるのか。
それともこれら二つのできごとが同時にやってくるのか。
わからないから楽しいんじゃないか。再び顔を出すオジサン。
仕事は明日をできうる限り手元に引き寄せる作業の連続だ。
反対に、突き放して暗がりに押しやって、向こうからやってくるのをじっと待ってみている。
釣りみたいだな。私が沈めた、まだ釣ったことのない魚。
バイパスを左に入ると、いきなり眼前に見える金峰山。踏切を越える。馬糞の匂い、躯体の隅々まで錆で染まった、ウォータースライダー。
近くにGEOがあった気がしたけど、つぶれたのかな。
バガボンドの事を思い出すといつも、坪井を思いだす。
帰りたいなあ。熊本に。