彼女なら窓の外眺めてる

息子が高熱を出した翌日、なぜか私が起き上がることができず、夕方まで臥せってしまった。
ぐうたらしたかっただけだろうと、妻は言う。
妻は夢の中に出てくる人物ではなく、私の現実に登場する人物であるから、ログアウトしている私を悪し様に言うのは当然のことだろう。その間息子は、妻一人で面倒を見るわけであるから。
夕飯時、遠くを走り抜ける新幹線の足音を聞きつけ、この音がそれだよと、妻に教えた。
彼女の生活にはこれから、1時間に8回は聞こえるであろうあの音が、通奏低音として響くのだろうか。福神漬けを口に運びながら考える。次は貨物列車の音。福神漬けって、ナタマメも入ってなかったかしら。知らないと妻。
コーヒー豆を湯冷ましに漬けてみたところ、発芽までに数か月はかかるとネット上には書いてあったのに、半日ほどで芽が伸びてきた。ネットの情報は、真贋の判断がなされない情報が、あろうことか人間の手によって拡散されてしまうことがある。
後輩が昔私の家で、斉藤和義のベストアルバム…『ゴールデン・デリシャス』だったろうか…それをi-podから流してくれた。
彼は言う、今流れてる曲なんですけど、曲名が『なんとなく嫌な夜』で…、次のトラックも、まったく同じ曲が流れるんですよ。なのに曲名だけ変わってて、『レノンの夢も』になるんです。なんだか、気味が悪くないですか?どういう意図があるんだろうって…。
へえといい、一緒になって身震いするだけだった私は数年後、ほんとうの『レノンの夢も』を耳にする。
CDを取り込む際の事故だろうか、同じ曲が二回取り込まれてしまって、それぞれ別の曲名を冠して彼のプレイリストの仲間入りをしてしまったのだろう。
レコード会社から私たちの蝸牛菅までの間にたった一つの、デジタルな値が誤って入力されてしまったがために、 音楽家・斉藤和義に対する畏敬の念は、私と彼の心の内でいたずらに膨れ上がってしまった、あの事故。
道路に転がった男の死体の背中にある、三種類のタイヤ痕。
想像もしえない事故を想像してみる夜。