夜なんてものが、果たして本当にあるのだろうか。
第十一飛行隊が青空になにごとかを、煙に巻こうとして、私のズボンのほとんどは、右膝に穴を穿たれている。これは偶然、しかも接線の存在しない偶然。
空を海と見立てて泳いでいる魚でもいれば、私はずっと彼らに付き従って、憧れて、四肢を持って生まれたことを悔やんだりする。
世界地図ってなんだろうか。
そう呼ばれる見開きやペラ紙を、幾度となく見ている世代である私には、所与のものに思えるけれど、あれはよく考えたらとてつもないすごい存在だ。
残念に思う人、落胆する人、いるだろう。せっかく生まれてきたのに。なにもう全部、みんな知ってんの?
しかし、例えば地図に知らされたハワイ島まで、日本からだいたい4000マイルあるみたいだけれど、誰か一人でも、道中一度もまばたきせずに居れた人はいるのだろうか?
どうにも信じられない。人から伝え聞いたり、もらった航空図の通りに船やセスナを進めてみると、偶然島があって、それだけでなく、本当に伝聞の通りの島がある。
地べた這う、私は根っからの農民なのだろう、長旅から国内や家を構える町に戻ってくると、予想よりも寒いこと、暑いことに身体が反応する。
この町で過ごしていれば順当に、得ることのできた季節の移ろいを逃したため、傷だらけのレコードの上を走る針のように、たどたどしさを私の体は帯びる。
友人との会話は少なからずずれ込み、以前なら拾い上げられていた、彼らの投げる、いままでは共有していたはずの暗号のような問いかけを取り逃す。しょっちゅうである。
これは何も、長旅だけが責めを負うべき問題じゃない、かもしれない。
航路は決められた通りに海を渡って、コンテナと旅客を運ぶ。
タラップを…最近はタラップなんて踏まないか。
降り立った場所は、果たして本当に、元居た場所だったのだろうか。