奇跡の連続

「例えば」で話を始めるとき、私たちは自分の誇りや今までしてきたことを切り貼りして話さなければならないはずなのに、腰の鈍い痛みが横やりをいれてくる。
倒れるように眠り込むとはどういう心地のするものか、知らずに生涯を終えること。
数多の犯罪に匹敵するのかもしれない。
世界は優しくなった。
あけすけに優しくなって、酩酊するコアラを野放しにして、線虫を宿すリンゴガイがアスファルトを這う。
隣の人にもわかるように話をすることがなによりも重要になってきたのは、つまるところ魔女狩りから始まる他者への興味が、留まるところをまるで知ろうとしないからだ。
彼の鳶色の瞳を見よ。虹彩に全部書いてあろうが。
一晩中だって鏡に向き合ってやる。粉々にして畑にまいてやる。
現実に置いてけぼりにされる体と、肩を上下させて、それら二つの関係を遠くから見つめている言葉。周回遅れも快感に変わっているのだろうか。
喉に息を通して、狙った音程をすんなり出せるのすごいよね。
もしかして類まれな、奇跡の連続の目撃者なのだろうか?