2022年が始まる。それはどこをどう捉えても一つの夜明けが訪れて去っていっただけであり、特別な意味などないと考えている。
意義を見出せずにいることが、しかしもどかしくもあり、出遅れたような気分もして、またひとつ日が暮れていく。
気がつけば終わる。それは1日も一生もおなじペースであるように思う。
いつまで経っても日記に実在する人物を描くことができない、特殊な潔癖症と今年はおさらばしてみたいものだ。
ものすごく不細工で目を背けたくなるような罵詈雑言、暗喩的に誰かここに居ない人に対する批判や指摘を口にすること、ずっと、あまり縁がない。人と深く交わってこなかった代償である。これからは風の時代だと、人が口々に訴えるその傍らで、私は今捨て置かれようとしている前時代的な交わりを渇望している。
だって、お互いの自由を守り抜いた結果、どこにも行けずに苦笑い混じりに溜息をつくような日々には、もう長いことウンザリしてんだもの。
今年は僕らの年にしよう。ゾンビーズかよ。陳腐化した言葉というものはいついかなる時口にしたとしても、変わらずに陳腐である。
だけど何度でも言おう。
今年は僕らの年にしよう。ゾンビーズかよ。
ここまでをワンセットとして。