二人は止められない

濡れないように歩くより、手ぶらで体を捧げてしまう方がいい。
裸足でステージに立つミュージシャンが苦手だった。
自然体であろうとする姿勢(この表現がもう、トラックに置き去りにしたいくらい、陳腐で恥ずかしい)を額面通り受け止めるには、革靴の中の私の足はいくぶん窮屈に過ぎたのかもしれない。
河原乞食に対する、建設的でない愛憎のカフェオレである。
お目汚し、という言葉が浮かぶ。
誰かが自分の持ち物、身体を見つめてより良くしていこうという姿勢が、道路を挟んだ向こう側の誰かを傷つけている。
みじめな気持ちにさせている。
二人は止められない。どうしてこの周波数に合わせたの…目は一番厄介者の受信機である。

裸足で畑に立っている。
白い肌着にステテコを履いて、亜麻のコートを羽織って水をやり、土を梳いて草を抜いている。
徹底的に人を傷つけてしまう出で立ちである。しかし私は満たされている。
濡れることを忌避する。それをやめる。
靴を脱いでみてわかる。
足はとてつもなく繊細な受信機であり、私はビブラムソールに阻まれて、世界の半分を見失っていたのだ。
皆もこっちに来ればいい。ゆっくりと石を見て。石を踏み抜いてりはしないさ。
かつて嫌悪していた存在に、近づいてみて見える光景が私を虜にする。
雨なんて降らせておけばいい。社会は狂犬病にかかっているのか?
煙草の煙をフンと鼻から出す。

「サイレン」という、ゾンビゲームが昔あった。
従来のゲームにおけるゾンビという存在は、人間としての知性を失い、原始的な食欲を満たすためだけに人を襲う…という描かれ方をしていたが、このゲームでは彼らの動機がまるで違う。
彼らは宣教師、殉教者に近かった。つまり、こっちの世界にお前も来いよ。楽しいぜ。という意図で人間を襲うのだ。
サイレンが鳴ったら、外に出てはいけない…
私たちは言葉が通じないことに傷つく未来を恐れて、扉の外に、未だに答えが見いだせていない。