中々外に出られない

初めて自分の歌を作ったのは、10歳の冬、プールからの帰り道だった。歌というより、ほぼワンフレーズだけだが。

日はすっかり落ちて、けれど家から自転車ですぐのプール教室だったから、迎えはなく一人で帰る道の途中、その年初めての雪を目にして、思わず「雪だ 雪だ」と歌った。二の句は思いつかなかった。初めて自分でメロディを考えたという事実に打ちひしがれた。

やたらはっきりと覚えている理由は、当時の子供心にも、「今、僕は曲を作ったんだ」という、それは背徳に近い心許ない気持ちを抱いたという記憶が強く刻まれているからだろう。

そして、始めて拵えたその短い歌の、あまりのJ-popっぽさに頭を捻った覚えもある。言葉に音程が操作されている…?そこまでは考えてなかったかもしれない。

どうして ‘I love you’とは口に出しやすいのに、「愛してる」だと小っ恥ずかしいのだろう?これは今も気になる。

一神教の普及と共に発展した英語では、神と私とを区別するために文頭に主語を置く必要があった。とする説がある。神でなく私が、あなたを愛している。

では、ただ「愛している」と伝えることに恥ずかしさを覚える私の世界観はもしかしたら、神と自分との区別が付いていないのだろうか?

冷静に考えるとものすごく…厨二病の患者が放つ香りが鼻を突いてくるようだが、こういう些細な感情の機微に、人生の問題や面白みある本質が隠れていることを、私は知っているのだ。