だんだんわかってくる

渋滞が嫌いである。

逆に、渋滞が好きだなんて人がいるならお目にかかりたいものだ。知り合いにそんな人がいたら、私の前に連れてくるがいい。そしてこう言うのだ。「こんにちは。丹下さん、こちらが前お話しした、渋滞が大好きなハミルトンさんです」

私はあなたが、数多の苦難や退屈を堪えて落ちる涙、収穫の喜びやその繰り返しの憂鬱を乗り越えているひとりの人間の人生を、「渋滞が好き」なんて下らないもので抽象して私に紹介した非を責め立てる。私は人の道なるものを訥々と説いて君を後悔させる。こんな奴の言うことをまともに聞くんじゃなかった。そういった後悔でなく、人を小馬鹿にしてしまったことにたいする後悔を必ずや君にもたらそう。ここで記憶は10年前のものを掘り起こす。

「…さん、こちら丹下くん。彼女がかわいいよ」

そうだ…あの時私の人生は、彼の言葉によって「かわいい彼女がいる」なんてチンケな存在に圧縮され(でも確かに可愛かった。しかしあの子は哲学的ゾンビだった)、そのルサンチマンを抱えて解決もできないままでいるから、今もこんな、屈折した感情に人の道なんて大層なおべべ着せて振りかざしているだけじゃないか…

言葉は暴力である。ひん曲げられて薄汚れたレンズで、人は世界を見ている。

言葉を忘れ去って、再び世界を見てみたいという気持ちが、だんだんわかってくる。