この世のとうもろこし

匂いを私は熊本で教わった。大げさでなく。
人の家に上がるとき、マンションの廊下によどんで何十年もそこに留まっているような独特の匂いや、冷蔵庫のコンプレッサーが吐き出す黴臭さを嗅ぐと、祖母の家を思いだし、とても懐かしい気持ちになる。
柔らかく真っ白で清潔なシートからほのかに香る煙草―マイルドセブンだろうか―の匂いも、当時小学生だった私の鼻は香しく感じたものである。おかげで家族に懇願されても頑として譲らない愛煙家だ。
阿蘇山へと観光へ出かけた時のこと。
あれは…とうもろこし畑か、ススキの繁茂する道だったのだろうか、道の両側は背の高い緑に埋め尽くされた曲がりくねる山道の途中で、「とうもろこし」の文字を冠した屋台を見つける。
私は思わず声をあげて車を停めてもらい、香ばしい醤油の焦げた香りの下へと駆け寄っていき、一本買ってもらった。
トウモロコシとは本来、こんなにおいしいものだったのかと、ほっぺたが落ちるようだと、口にした気がする。

大人になった今でも、とうもろこしといえば醤油を塗り付けた直火焼きで、それ以外の食べ方を、知ってはいるが認められない。美味しく食べようぜ!
しかし、よぼよぼした足取りながらもこうして30年ほど生きてみると、世界でなにが起きて、なにが起こらないのかが、おぼろげながら見えてくる。
ピンシャーが空を飛ぶことはないし、ガソリンの中を泳ぐ魚もいない。
昨日までの財が一晩で紙くずに変わることは、まま起こり得る。
日本の辺境の、片側一車線の山間の道で、他に店はおろか屋台すら何一つない場所に、この世で一番おいしい焼きトウモロコシの屋台が開いている。
そんなことがあるだろうか?
私の想像力とは、あったとも、なかったとも言えない、数多の出来事の継ぎ接ぎでしかないのかもしれない。