the fourth person

窓越しに見る雷とか蝋燭の灯りのチラつきはドキドキする、一方は家内で行われる秘め事を断罪するように照らし、一方は秘め事の存在を暴こうとするように往来へ伝える。朝靄や西日が焦がし続けた栗毛に拐かされず真実を見つめ続けようとするためには身体がいらない。この息遣いにいつかは誰かが目を向けてしまうからだ。

なんの話?そう最近ゲームを見てる。懐かしの、FF7のリメイク。ゲームをやる時間もハードを買う余裕もないので、ゲーム実況を見る。本当に、しみじみと思うが良い時代になった…口をあんぐりと開けて、ただ享受するだけの無精者にとっては、と但し書きがつくけれど。

映画が観たい。導入、語り部の低く諭すような声の終わりと共に、カメラのアングルがゆっくりと、舞台となる街に降りてくるシーンは、私のままならない人生を2時間だけ、仕切り直してくれるような気分になる。

第三者目線のカメラ、そしてそれを缶ビールとトルティーヤ・チップスをお供にぼんやりと眺める私の目線は、第四者目線と言うらしい。これだけ当事者性のない目線の快楽を知ってしまった私たちは、今後、どこでどんな代償を支払うことになるのだろう。

それとも、現に払い込みは続いているのかも?