写真は美しいのに

写真や映画の何が良いって、嗅覚から隔絶された世界に収まり良く存在してるところかもしれない。

鼻は実にさまざまの情報をもたらしてくる、時に迷惑な存在で、そういえば何かを手に取った時に私が真っ先に行うことは匂いを嗅ぎ取ることで、そのくせ、その見返りとして得られる匂いに好感を抱いて嗅ぐということをしない。匂いにまつわる記憶を構築したり、かつて構築した記憶に浸りたい望郷の念に駆られているだけで、匂いそれ自体を好ましく思うことは、殆どない。さては、めんどくさい人だな、あんた。

絵画や写真に写し出されるものは美しい。被写体じたいの、匂いも触り心地もないからだ。

五感のヒエラルキー。傍にあって、嗅ぎ慣れない匂いを持ち込んだり、息遣いが私のうぶ毛を撫で、熱を帯びて部屋の温度を少しばかり上げるような存在にたいし、迷惑に感じる気持ちは少しある。

嫌悪感というものは、本当に厄介な代物だ。昔よりも今が楽だと口にする人が多い(たぶん)のは、嫌悪感に縛られていた自身がお務めを終えて、少しずつ解きほぐされていくからなのかもしれない。

帰納的に語るのはあまり良くないだろう。彼らの今いる場所は、通ってきた道だとは思わない。しかし出口があるかも知れないとは、伝えてみたい気持ちがある。